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光GENJI解散時に届いた紙切れ1枚。SMAP解散時のメール1通との共通点

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今になって22年前の光GENJIの解散時に届いた紙切れ1枚が話題となっている。

光GENJIは1987年に内海光司と大沢樹生の「光」、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の「GENJI」という2つのグループが合体して結成される。

チャゲ&飛鳥が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビュー。ローラースケートを履いて踊り、80年代後半から90年代前半にかけ、爆発的な人気に。まさに国民的スターとなり、小学生の間にローラースケートブームを巻き起こすなど社会現象にもなった。

デビュー当初は赤坂晃と佐藤敦啓は労働基準法による年齢制限から基本的に夜8時以降〜翌朝5時(現在は改正されている)までの生出演ができず、当時出演していた「ザ・ベストテン」や「歌のトップテン」などの生放送の音楽番組にはSMAPの中居正広や木村拓哉が代わりに加わることもあった。

1988年のオリコン年間シングルチャートでは「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」で1・2・3位を独占していたことからもその人気がわかるだろう。

しかし1994年8月31日に大沢樹生と佐藤寛之が脱退し5人体制に。翌年1995年9月3日に解散した。

そんな光GENJIにSMAPの解散時と一つの共通点がある。

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光GENJI解散時に届いた紙切れ1枚

まず断っておくが光GENJIとSMAPの解散の経緯は全く違う。1995年当時はアイドルといえば、20代半ばともなれば引退するのが常識だった。その後、SMAPがその常識を破るのだが、当時ワイドショーなどでも光GENJIの解散についてはどちらかというと「今までありがとう」といったポジティブなものが多かった。

メディアがジャニーズ事務所を忖度した点もあるかもしれないが当時は音楽番組が少ない上、バラエティやドラマにジャニーズタレントが出ることもほとんど無く、その影響力は今よりは大きくなかった。

解散はメンバーが自ら決めており、後に諸星は解散理由を「仲が悪かった」「メンバーみんな疲れていた」などと語っている。メンバーの疲れている姿を見て、諸星がメンバーを集めて解散を問うと全員がそれに同意したという。

ファンも多くの人が涙したが、メンバーが決めた解散に納得し、これからも応援しようと思えた。しかしファンへの解散のお知らせの仕方には問題がある。

9月3日の名古屋市総合体育館・レインボーホールで行われるコンサートの申し込みを締め切ってから解散の知らせがFC会員宛に紙切れ1枚で届いたのだ。

それが以下の1枚。

インターネットもスマートフォンもSNSも普及していなかった当時、ファンはこれでも納得するしかなかった。

そしてSMAPの解散の時、ジャニーズファミリークラブのHPに掲載された文言は簡素な内容。

その後、FC会員に届いたメールは「詳細はコチラ」としてリンクのみだった。

smap-kaisan-mail-link

もちろんWEB上には報道関係者に送られたものと同様の文言が掲載されたが、解散発表してすぐにジャニーズファミリークラブの対象アーティスト名からSMAPを消すなどの愛を感じられない対応が続いた。

smap-family

何度も言うがSMAPの解散についてはメンバーもファンも納得いっておらず、強制解散という見方も根強いだけに解散までの経緯は光GENJIと全く違う。(強制解散疑惑の事例でいうと男闘呼組の事例がそれに当たる)

共通するのは事務所へ大きな利益貢献をもたらしたメンバーやファンへの愛情・感謝の気持ちが見えない対応ではないだろうか。

22年経った今も体質は何も変わってないのかもしれない。

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