週刊文春“ジャニーズの女帝”の素顔に迫る第二弾!喜多川家のルーツ

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週刊文春による緊急連載が、9月22日発売号に第2弾として発売された。今回はメリー副社長の知られざるルーツに迫った特集。たった一代で、しかも女の身で「アイドル帝国」と呼ばれるまでに、どうして急成長させることができたのか。メリー副社長の人格とマネジメント能力が形成された背景を物語るエピソードが書かれていた。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)が喝破する芸能界。欲と虚栄と嘘による駆け引きの世界を、派手に着飾って優雅に勝ち抜いて生きていける陰には、本人の資質と相当な苦労を越えていく気力が必要。ましてや、年商1千億円の企業となるには、本人の努力は相当なものだが、 時代背景と家庭環境や周りの環境である人脈が重大な影響を及ぼすもの。

決して平凡な生活環境からは生まれてこない発想である。特異な環境に揉まれても潰れない強い意志力。人生の終盤に差し掛かり、罪のないSMAPを解散に導いた張本人とファンからは言われている。今迄知られてなかったが、今回のSMAP解散に至る一連のことで、人生が掛かっているタレントを私物化して、エゴと感情的な怒りでコントロールしているように見える。

メリー副社長と政財界との2020年の東京オリンピックの利権の構造と、次期社長であるジュリー副社長のお気に入りの嵐を使おうと、既に決まっていた「東京パラリンピック・スペシャル・サポーター」の仕事を解散させてSMAPから奪った。それにしても不思議だった13日夜のSMAP解散報道。なんとキャンセル手続きなどを考えたら、ギリギリの期日が13~14日のタイミングしかなったという。

憎い飯島元マネージャーの取ってきたSMAPのオリンピックの仕事。自分の政財界の人脈まで取られたと烈火の如く怒ったのだ。SMAPが飯島元マネージャーと独立しても、ジャニーズに上納金を払えば良いことになっていたので、オリンピック絡みの仕事でSMAPは独立しても充分やっていけたという。それが不愉快なメリー副社長はSMAPをキッパリと解散させねばならなかった。国民的アイドルであり、海外からのファンの多いSMAPは犠牲になってしまった。

バランスがあまりにも偏り過ぎて歪になっている。自分本位で儲けと”えこひいき”を優先させてSMAPを切り捨てたなら、あまりにも非道な仕打ちであり、ファンを憤りと絶望の淵に落し入れている。多くの視聴者から嫌われてしまったジャニーズ帝国。せっかく苦労して積み上げた宝を、ドブに叩き捨てるような行為には反動がある。

どんな人間も黒だけ、白だけの人はいない。光と闇は表と裏で、表裏一体だが、裏(真っ黒)が勝っていて大きく振れ過ぎた場合、振り子のように戻そうとする力が働く。ジャニーズのタレントの血と涙で稼いだお金で不動産投資でも政治家と組んで利益を出し、大いなる野望をいだいて立ち回っているという。

週刊文春の記事がどこまで深く鋭く真実をあぶり出す予定か解らないが、総力を上げてメリー副社長の裏の人脈と闇の力をあぶり出すとの噂が流れている。先ずはメリー副社長の 、その波乱に満ちた生い立ちを探り、試練を乗り越えた成功物語を週刊文春は関係者から取材して記事にしている。

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肝の据わった女性

天性の才智と鍛え上げられた根性で成功させてきたジャニーズ帝国。メリー喜多川副社長が、昨年のインタビューで週刊文春に話した内容。

以下引用

「私、CDの海賊版を売っている人を見たら、車の中から伊勢丹か何かの袋を持って行ってそこにあるのを全部バーッと入れて『ババア何するんだ』って言われても『文句あるんだったらうちへおいで』と言ってやったもの。

『取りに来るんだったら、おたくの上の人間に取りにこさせて!』って。私、どれだけテキヤさんと喧嘩したか分からない。

上の人はみんな話が分かる。下っぱがだめなの。だってヤクザたちじゃないけれど怖い人たちだって上の人は全部話分かるから」

引用:週刊文春

おそらく30代半ばであったと思われるメリー氏のこの言葉で、どれだけ肝の据わった女性か、筋を通す根性のある男勝りの女性だったかと想像できる。

弟のジャニー氏と共に一代で“アイドル帝国”を築き上げたメリー氏。想像を絶するバイタリティーと豪胆ともいえるパワーの源泉は、波乱に満ちたそのルーツにあった。

2人の弟の母親代わり・人に気に入られる天才

メリー氏が10代を過ごしたのは、祖父ゆかりの地・和歌山だった。その時代を知る人への取材では、彼女は明るい性格で人に気に入られる天才だったという。
以下引用

戦後、OSKが占領軍のキャンプの慰問に回った際はメリー氏は流暢な英語で司会をこなしていたという。

姉弟は再び渡米。アメリカの市民権を喪失しないために、横浜港からLST(米軍の軍用船)に乗って日本を後にした。米国での暮らしを、メリー氏自身が雑誌の取材でこう振り返っている。

〈決して楽な生活ではありませんでした。ベビー・シッターもやったし、ショップ・ガール(売り子)もやりました。学校が終わると、アルバイト先へ直行したり……(略)。楽しかったんですが、どうし ても日系米人の社会に同化できなかったことや、日本へのホームシックも大きくて中退して帰ることにしたのです〉(「女性自身」一九七六年五月六日号)

この頃、弟のジャニー氏が米国に来る日本の芸能人の世話をしたことが、姉弟が日本のショービジネスに携わるきっかけとなった。

ジャニー氏も当時のことを語っている。

〈終戦直後のことですからね、とにかく場所がないでしょう。当時日本から公演に来られた芸能人の方々は皆さん、うちの教会を劇場代わりに使って下さったんですよ。(略)一番最初に来たのが女優の田中絹代さん(昭和二十五年)、そして山本富士子さんが初代ミス日本として。ひばりさんが十二歳でアメリカに来た時(同年五月)のことは今でも鮮明に覚えています〉

引用:週刊文春

現在のジャニーズの原形ができたのは、この頃の経験から生まれた発想。その後、ジャニー氏は日本に戻ってから米国大使館の軍事顧問団で通訳などの仕事をしていた。

住んでいた占領アメリカ軍宿舎「ワシントン・ハイツ」の近所に住んでいた子供たちを集めて野球を教え始めた事がジャニーズ事務所のルーツ。

野球チームは「ジャニーズ」と名付けられ、ジャニー氏はこのチームから4人の少年を選抜し、エンターテインメント事業へ参入している。ジャニー氏の父は終戦後の1946年から1949年までプロ野球チーム「金星スターズ」のマネージャーを努めており、一家揃って野球好きなようだ。

またジャニー氏は米国の情報機関で働いていたこともあるという。

ジャニー氏と仕事上で親交のあった元編集者で、作家の小菅宏氏が語る。
「大使館付きの軍事顧問という肩書きも持っていたそうです。

不躾とは思いながらもジャニーさんに『CIAのスパイだったの?』と聞いたことがあるのですが、本人は『米国の情報機関で働いたことはあるけど、それ以上はノーコメント』と言っていました。

引用:週刊文春

これが本当ならCIAのスパイだったと言っているようなものだ。

四谷でスナック「スポット」経営

代々木公園に近所の少年たちを集めてはじめたのが「ジャニーズ少年野球団」。少年たちの中から選ばれた真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良の四人で初代ジャニーズを結成した。

ジャニー氏が少年たちを連れて行ったのが当時、後から帰国したメリー氏が東京・四谷で経営していた「スポット」。作曲家・服部良一氏の妻と一緒に営んでいた、スナックである。

引用:週刊文春

1960年に、このスナックを訪れたのが後にメリー氏の夫となる作家の藤島泰輔氏。藤島氏は別の女性と結婚するが、1966年メリー氏とも親密な関係にあり2人の間に娘のジュリー氏が生まれた。

メリー氏は39歳、藤島氏と前妻の間にまだ離婚は成立していなかった。しかし後に結婚する。

弟のジャニー社長を庇う役回り

この店には政界、財界の偉い方たちがたくさん来ていた。その中で何かトラブルがあっても、絶対にジャニー氏に影響が及ばないよう体を張って阻止してたという。ジャニー社長の少年愛の不始末なども、ずっと表に出ないようにマスコミに報道規制を行っている。

今では恋愛スキャンダルや競合男性アイドルのゴールデン番組出演などのマスコミ統制は芸能界一と言われるまでになった。

ジャニー社長の夢は「将来、自分の劇場を持ちたい」「テレビ番組のゴールデンタイムを自前のタレントで独占したい」。当時の夢はどちらも実現させているが、せっかくの最高傑作であるSMAPを、人が作り上げた踊れないアイドルだから気にいらない、邪魔だとメリー氏の意志で潰した。たとえ自分が人生の大半を賭けて努力して会社を大きくしたと思っても成功は1人では出来ない。大成功したトップのSMAPを潰したことで、他にタレントの代わりが幾らでもあると思っているのだろう。

前回の週刊文春の記事は、メリーの正体を暴くという突撃のゴングが鳴り響いていたが、今週はタイトルとは違って柔らかい印象がある。戦うときには先ず相手を良く知るということなのか。新たな突撃の切り口であるショッキングな真相が明らかになると期待して、雑誌が飛ぶように売れている。

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